チャールズ・フォスター (財務長官)
チャールズ・フォスター | |
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Charles Foster | |
第40代アメリカ合衆国財務長官 | |
任期 1891年2月25日 – 1893年3月6日 | |
大統領 | ベンジャミン・ハリソン |
前任者 | ウィリアム・ウィンダム |
後任者 | ジョン・G・カーライル |
第35代オハイオ州知事 | |
任期 1880年1月12日 – 1884年1月14日 | |
副知事 | アンドリュー・ヒッケンルーパー |
前任者 | リチャード・M・ビショップ |
後任者 | ジョージ・ホードリー |
アメリカ合衆国下院議員 オハイオ州オハイオ州10区選出 | |
任期 1873年3月4日 – 1879年3月3日 | |
前任者 | エラスムス・D・ペック |
後任者 | トーマス・ユーイング・ジュニア |
アメリカ合衆国下院議員 オハイオ州オハイオ州9区選出 | |
任期 1871年3月4日 – 1873年3月3日 | |
前任者 | エドワード・F・ディッキンソン |
後任者 | ジェーン・ロビンソン |
個人情報 | |
生誕 | Charles William Foster Jr. 1828年4月12日 アメリカ合衆国 オハイオ州ティフィン |
死没 | 1904年1月9日(75歳没) アメリカ合衆国 オハイオ州スプリングフィールド |
政党 | 共和党 |
配偶者 | アン・オルムステッド |
子供 | 2人 |
署名 |
チャールズ・フォスター(Charles Foster, 1828年4月12日 - 1904年1月9日)は、アメリカ合衆国の政治家。1880年から1884年までオハイオ州知事を務め、1891年から1893年までベンジャミン・ハリソン大統領の下で財務長官を務めた。
生涯
[編集]1828年、フォスターはオハイオ州ティフィンの郊外で生まれた。フォスターはオハイオ州のノーウォーク学園で学んだが、14歳のときに父が大病を患ったため学園を中退し、父の事業経営を引き受けた。フォスターはそこで大きな才覚を発揮し、フォスターが18歳になると父はフォスターを共同経営者に指名した。フォスターはオハイオ州で最も大きな企業へと成長させ、銀行と鉄道の経営により一財産を築いた。
1853年には判事ジェシー・オルムステッドの娘のアン・オルムステッドと結婚し、2人の娘を儲けた。
またフォスターは、共和党員として活発に政治活動を行った。1870年、ティフィンはアメリカ合衆国下院議員に立候補し、1871年から1879年まで4期続けて下院議員を務めた。1878年のアメリカ合衆国下院議員選挙では敗れたが、翌1879年にオハイオ州知事選挙に立候補し、1880年から1884年までオハイオ州知事を2期務めた。
1890年、フォスターは再びアメリカ合衆国下院議員選挙に立候補したが、当選はならなかった。翌1891年、フォスターはウィリアム・ウィンダムの死によって空席となった財務長官に指名され、ベンジャミン・ハリソン大統領の下で財務長官に就任した。
フォスターは財務長官として、西部の銀採掘業者の掘り出す銀を政府が高値で買い取るシャーマン銀購入法の継続を支持し、貨幣制度の金銀複本位制への復帰論に対抗した。そして1893年、フォスターはハリソン大統領の任期満了に伴って財務長官を退任すると、フォストリアで事業活動を再開した。
そして1904年、フォスターはオハイオ州スプリングフィールドで死去した。フォスターの遺体は同州フォストリアのファウンテン墓地に埋葬された。
参考文献
[編集]- Murray, Melvin L. Charles Foster, Ohio’s Master Politician: Congress, Contracts, and Calico. [Fostoria, Ohio]: M.L. Murray, [1997].
外部リンク
[編集]- Secretaries of the Treasury - Charles Foster - アメリカ合衆国財務省の公式サイト内の、フォスターの紹介ページ
- Biographical Directory of the United States Congress - FOSTER, Charles - アメリカ合衆国議会の人名辞典サイト内の、フォスターの項目